35歳2児の母、カフェを開業する!!をテーマにした「ここから日記」の筆者です。
ブログ趣旨
はじめまして!!読んでくださり、ありがとうございます!!
このブログでは35歳2児母がカフェを開業する
試行錯誤をブログにしました
〇子どもを持ちながら独立を目指している方
〇子育てで悩んでいる方
〇将来の貯金をふやしたい方
〇夢を持っている方
私が試行錯誤した情報を発信していきます
皆様の暮らしに役立てればよいと思います
自己紹介
家族構成
★34歳 マイペースな女です
★家族構成:夫、息子4歳、娘0歳
★仕事:メーカーにて経理系の仕事していますが、今は育児休暇中
★片田舎の賃貸マンションに住んでいます。田舎なので車がないとどこにも行けない車社会。
幼少期
生まれたことろも片田舎。お菓子屋を営む祖父母と、教師の両親の間に長女として誕生しました。
年が離れた弟が2人。両親が働いていたので、祖父母に育てられました。
お菓子屋といっても、昔のコンビニのように日用品や食品、本など何でも揃っていました。
買い物に来たお客さんにお駄賃をもらったりしてこの環境下で愛嬌が育てられたかと思います。
中学時代
将来の夢は京都の舞妓さんになると言い出します。しかし厳格な家族に猛烈反対を受けます。
どうしても舞妓さんになりたい私は導入したてのパソコンで「舞妓」を検索しまくります。
当時はそれほどパソコンも普及しておらず(電話回線でネットをつなぐ時代)、個人のHPに作られた掲示板に書き込みをして情報を得ていました。
「舞妓になりたい」という投稿をたまたま見てくれた京都のお茶屋さん常連客がコメントをくれました。
これが運命の転換期でした。
その常連さんが置屋さん(舞妓さんの住み込み家)を紹介してくれること。
(今では考えられませんが、当時はまだネット社会でも信頼関係があったようです。)
中学の夏休みを利用して、ネットで知り合った常連客さんの紹介で、京都の置屋さんに住み込み体験をすることになりました。
親には、舞妓になる夢を諦めるという条件で京都に行かせてもらえました。
そこで知り合った舞妓さんAと今後長い付き合いとなります。
高校時代
舞妓を夢見た中学時代なので、ろくに勉強をしていません。
テストを受ける知能がなかったので、内申点で入れる高校に入学します。
舞妓は諦めたものの、日本文化を海外に広めたい!という願望が沸々と煮えてきました。
しかし、赤点をとるくらいの英語ダメダメっぷり。
日本文化を外国人に広めるには、まず英語を話せないとダメだということでニュージーランドに留学することになりました。
そこで人生初めての彼氏(ニュージーランダー)ができたというのは秘密です笑。
大学時代
大学は憧れの京都に行きたい!!!
しかし生まれも育ちも片田舎。両親、祖父母みな片田舎から出たことがありません。
ただ受かったもん勝ちで、憧れの京都の大学に進学することになりました。
初めての一人暮らしに黄金時代が訪れます。
中学時代に知り合った舞妓Aさんとはあれから文通をして、京都での再会を果たします。
舞妓Aさんから祇園のお茶屋さん[1]芸子や舞妓が客をもてなすお座敷を営む店を紹介してもらいます。このお茶屋さんでのバイト経験が凄かったので、別の記事で書きたいと思います。
大学時代は、バイトに趣味の日本舞踊の一択だったと思います。
そして大学4年生に運命の出会いにまた会います。
ラトビアとの出会い
友達の紹介で内閣府が主催する青年国際交流事業の一環でバルト三国に行くことになりました。
(リンクを貼りましたので、興味のある方をごらんください)
バルト三国を約1ヶ月かけて滞在したのですが、そこでラトビアという国の魅力に取りつかれます。ラトビアについてはここで書くと夜が明けてしまいそうなので、別でまとめます。笑
ラトビアをもっと知りたい!知りたい!知りたい!と恋に落ちた気分でのめりこんでいきます。
そして大学院進学を決心。(就職黄金期にも関わらず、内定がもらえなかったからって?いや?聞こえないけど・・・苦笑)
大学院に進学し、文化人類学という観点からラトビア愛を追求することにしました。
ラトビアでのフィールドワークを経て4年(?あれ1年多いぞ)で修論を執筆して卒業します。
大学時代7年は祇園とラトビアに憑りつかれた人生の黄金期でした。
就職という名の修行時代
文化人類学&ラトビアで食べていくことを断念した私は地元にUターン就職をします。
26歳女性!文系!院卒!という「日本企業さま」が最もNo thanksな肩書を背負っていましたが、心の広い会社が拾ってくれました。
しかし、就職できた喜びもつかの間、試練が待ち構えていました。
お金苦手~数字苦手~だから銀行は受けない~と就職活動唯一さけていた分野でしたが、それならと神様は言わんばかりに配属先はまさかの経理ww
そして配属されたチームに派閥ができており、同じチームの方が自らの命を絶ち。
環境最悪な会社人生がスタートします。
お金苦手→お金!お金!キラーン!に変貌したのは、この修行のおかげです。
今では仕事で得たスキルで家計簿をつけ、投資、節約に邁進するまでになりました。
人生第2ステージ
結婚・出産を経て今では2児の母でございます
今は人生の岐路に立っています
それは長年夢見た「ラトビアカフェをオープンする」ということ
今じゃなくていいでしょ?って思うかもしれませんが、
来年こそ。来年こそ。と毎年思い続けてきました
毎年いつかやると言い続けて目標を先延ばしにしてきた人は多いかと思います
いつかはいつだろう?いつかになったときに機を逃していないだろうか?
そう、いつかは来ない。やると思った時がやる時だと思います
家族がいるから1人で決断はもちろんできません
ハンディでもあり、最高の応援者が傍にいてくれる
どんなことでも夢を諦めないでいたい
私が悩み、失敗し、苦労した経験こそを共有して、
もっと、もっと、多くの人が輝けるように記録と情報を発信していきたいと思います
References
↑1 | 芸子や舞妓が客をもてなすお座敷を営む店 |
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