前回は祇園の概要を説明してきましが、今回は実録として祇園のお茶屋でバイトをした経験を話していきたいと思います
せっかく京都で学生するなら京都らしいバイトしたいよね~
祇園でのアルバイト経験
祇園でアルバイトをする方法
祇園でアルバイトをしたい場合、色々なアルバイト先があると思います
多くの飲食店が存在し、観光客も多いので特に土日は忙しいです
舞妓や芸子が来ることは滅多にないと思いますが、店長などは芸子や舞妓と知り合いだったりするかもしれません
通常のアルバイトと同じでアルバイト情報誌で探すと良いでしょう
舞妓や芸子が現れる確率が高いです
3次会などで、お茶屋からバーやスナックに舞妓や芸子が派遣されます
たまにアルバイト情報誌に掲載される場合もありますが、ほとんどは口コミなので
知り合いからが働いていたら紹介してもらいましょう
知り合いがいなければ、直接お店に電話で問い合わせるのも良いでしょう
置屋さんは残念ならがアルバイトは募集していません
お手伝いさんなど正規の方が雇われていることがあります
アルバイト情報誌には掲載されません
知り合いの紹介で入るしかありませんが、結構学生アルバイトは多いです
京都大学、同志社大学、立命館大学等の学生が多かったです
知り合いにいない場合は、お茶屋の電話番号を知るすべは難しいので、祇園の組合に問い合わせても良いかもしれません
筆者は中学生の時に舞妓になりたくて、置屋さんに住み込み経験があります
自己紹介記事で書いていますので、よろしければご覧ください
その際に知り合いになった舞妓さんにお茶屋を紹介してもらいました
お茶屋にはバースタイルなどがありますが、私は昔ながらの和式家屋が良かったので、伝統的なお茶屋を紹介してもらいました
アルバイト先はこんなお茶屋さん
筆者がアルバイトをしていたお茶屋さんの紹介をします
外から見るとここがお茶屋だということを気づきません
お茶屋はお茶屋という表札が玄関に飾られています
表札のように屋号が出ているところもあります
一見さんお断りなので、誰かの紹介でないと入ることができません
一見さんがお断りの理由は
お客さんを大事にしていることと、未払いを防ぐこと、舞妓・芸子の防犯面です
1Fはこのような間取り図です
玄関を入ると、奥に2部屋客間があります
少人数のお客さんは1Fに通されます
すぐに準備ができるので、飛び入りで入ってきたお客さんも1Fを使います
ごくたまに、密会を希望の方はお茶室を使われます
そして2Fの間取り図です
2Fは大部屋があるので、大人数のお客さんは2Fを使います
玄関とそれぞれの部屋の床の間には花が活けてあり、毎週お花屋さんが花を活けにきます
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祇園アルバイトの1日
基本的なアルバイトの1日の流れです
17時 入店、着替え(男子は作務衣、女子は着物)
17時半~18時 掃除・部屋の準備(雑巾がけをして、机と座椅子を並べます)
18時 夕ご飯 女将さんが作ってくれます
19時~21時 来客 宴会
21時~23時 来客 後口
23時 片付け
ざっくりとこのような流れです
舞妓さんはいくらで呼ぶことができる?
舞妓さんと芸子さんの時間管理もアルバイトの仕事です
基本料金として、ご祝儀といって、1人に対して、宴会は1万、後口は1万が支払われます
あとは滞在した時間が15分刻みで課金されていきます
この課金される料金のことをお花代といいます
昔、まだ時計がない時代に線香を燃やして燃えきる時間をカウントしたことが由来といわれています
その線香をお花と呼び、お花代1本、2本、3本・・・10本が約15分です
ですので、ご祝儀1万円+お花代(15分単位で滞在時間)が舞妓さん・芸子さんの料金となります
後は三味線の地方さん、年長者、等々、お茶屋の女将によって色付けされることもあります
だいたい1人舞妓さんを呼ぶのに2時間で3万円くらいが目安です
祇園の女将は凄い
お茶屋の女将さんについて
筆者がアルバイトをしていたお茶屋の女将は3代目です
女将の母親は地方から祇園へ出て舞妓としてデビューをしたのち
跡取りのいなかったお茶屋をもらい2代目となりました
女将の母親は恋多き女性で、兄と姉がいますが、兄とは父親が違います
「堕とされんで、うちが産まれてきたのは奇跡や」と女将は言っていました
兄と姉は水商売が合わなかったらしく、家を出て一般的な仕事をしています
水商売がゆえに周りの目は厳しいときもあります
女将が若かりし頃、医学生の恋人がいました
ある日その両親に呼ばれ、100万円の札束を手切れ金に別れてくれと言われたことがあったようです
女将は喉からその大金が欲しかったようですが、お金は受け取らずに別れたと寂しく話していました
母親の最後の恋人が1億の借金を抱え、保証人が母親であったことから、
母親が亡くなると女将は1億の借金を負うことになりました
何年もかけて借金を返済し、大酒を飲み、ストレスと過労からくも膜下出血で倒れたこともあります
運よく一命はとりとめましたが、その後にうつ病になってしまいました
うつ病が徐々に良くなった時期に筆者は女将の元で7年間働きました
病気を抱えながらも、着物を着るとプロ根性で綺麗になる女将の姿は凛としていました
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まとめ
祇園のお茶屋でのアルバイトの様子が想像していただけたでしょうか?
もっと、こういうことが知りたいということがありましたら、コメント欄に書いていただけたらと思います
就職してお客をお茶屋に連れていくことが筆者の夢です
まだその夢は果たせていませんが、いつかお客としてお茶屋を訪れたいと思います
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